
先日行われた愛知県味噌溜醤油品評会で弊蔵の豆みそを使用した「木桶熟成赤だし」が1品のみ選ばれる最高位である知事賞をいただきました。
木桶や蔵、そこに住む微生物たちに感謝を忘れず、
自分たちが表現したい味。
食べる方が感じる味。
これからも主観と客観のバランスを考え、整えながら美味しいお味噌を育てていきたいです。
撮影者が社長かつ慣れない場の為、代表して賞状を受け取った近藤君の笑顔が少しひきつってますね。
有ること難し。 店主
11年目、後期の椙山女学園大学教育学部の授業です。
恒例となった野崎教室の見学会、将来教師を目指す皆さんに期待を込めて開催しています。
11年目、後期の椙山女学園大学教育学部の授業です。
恒例となった野崎教室の見学会、将来教師を目指す皆さんに期待を込めて開催しています。
学生諸君の協力のお陰で楽しくスムーズに行なうことができました。
将来、子供たちを引率して再訪してくるのを期待します。
未来の子供たちのこと、よろしくお願いいたします。
有ること難し。 店主
昭和20年(1945)敗戦とともに日本中が混乱し、全てが失われた。味噌の委託加工は、食料不足のため急増した。国民全体が「生きるために食べる」ということに必死な時代なのである。
http://www.masuzuka.co.jp/blog/%E8%BF%BD%E6%86%B6/entry-828.html
昭和20年(1945)敗戦とともに日本中が混乱し、全てが失われた。味噌の委託加工は、食料不足のため急増した。国民全体が「生きるために食べる」ということに必死な時代なのである。
大豆、塩そして薪を積んだリヤカーが三河周辺の農家より毎日清市の家の前に並んだ。しかし、処理能力不足の為全部を処理できず、断るのに必死であった。清市達の味噌醸造は家族だけでは仕事をこなす事が出来ず、近所の村から蔵人を募集・採用した。
味噌仕込み風景 昭和20~22年(1945~1947)
蔵人集合写真 昭和20~22年(1945~1947)
有ること難し。 店主