
新企画 蔵元写真館「追憶」をスタートします。
我々蔵元 桝塚味噌(野田味噌)だけでなく、日本の歴史を写した未公開の写真を定期的にアップロード致します。時代を振り返る時、過去の多くの人々の、絶え間ない努力と犠牲の上に成り立つ現在の日々に、「ふっ」と感謝の念が湧きます。
そんな思いから「追憶」というタイトルをつけました。
「清市大志を持つ」 大正15年(1926) 後方左から二人目
「初代清市成人記念」 大正15年(1926) 後方左
愛知県碧海郡上郷村桝塚、貧乏な小作人であり、また村の床屋と屋根拭きとして細々と生活していた野田弥市に長男清市が明治39年(1906)10月19日に産声を上げた。清市は兎唇(みつくち)で、すぐに縫い合わせをしたが、一生その傷跡は残った。子供時代、その兎唇と貧乏は彼自身の心を傷つけた事は確かであった。
明治39年生まれの清市にはその後生まれた14人の兄弟(内6人は死産又は生後まもなく死亡)があり、彼は尋常小学校卒業と同時に、今度は口減らしと現金収入の為に、肉体労働の人夫仕事に出された。
この骨太の体はこの肉体労働の賜物である。
有ること難し。 店主
蔵元レシピ第4弾は、寒い冬に大活躍間違いなしの「味噌鍋のもと」です。鍋は冷蔵庫の余った食材を使えて、簡単に早く作れますが、どうしても同じ味の繰り返しは飽きてしまう方にもオススメの調味料・薬味のちょい足しでアレンジ自在のレシピです。
http://www.misodikara.jp/hpgen/HPB/entries/16.html
蔵元レシピ第4弾は、寒い冬に大活躍間違いなしの「味噌鍋のもと」です。鍋は冷蔵庫の余った食材を使えて、簡単に早く作れますが、どうしても同じ味の繰り返しは飽きてしまう方にもオススメの調味料・薬味のちょい足しでアレンジ自在のレシピです。
市販で鍋のもとも売っていますが、手作りすればシンプルな調味料で何が入っているか分かる、どなたでも安心して食べて頂ける鍋のもとがすぐできます。
引き続き、皆様の「味噌のあるちょっと幸せな生活」を応援して参ります!
有ること難し。 店主
1月8日(日)朝刊に掲載されました。
「約70年前、若者たちが殺し方、死に方を学んだ場所です」
弊社は敷地の半分が旧岡崎海軍航空隊の跡地にあります。
当時、第三航空隊(桝塚飛行場)と呼ばれていました。
若い沢山の航空兵と整備士が訓練を積んでいました。
そんな時代の施設が現在の味噌蔵として生きています。
平和な社会の片隅に、そんな味噌蔵があることを知ってください。
「我々は殺し方を、死に方を教えた場所で『生きる』をつたえていきたい」
有ること難し。 店主