大豆畑には、周囲とその間、10メートル間隔で溝が掘ってあります。
もともと、稲作用の土地で大豆を栽培する時には、水はけを考えて溝を掘ります。
輪作を進める農業は、やはり手間がかかります。
満州の大豆畑には溝はありません。もともと、水田用では無いからです。

 今、大豆は、3段目の葉を伸ばし始めたところです。
この時期、日々成長していきます。人間でいえば、赤ん坊の時代でしょう。
弱々しい葉を、天に向け必死に、自己主張しています。


「園児らの 癖そのままの 昼寝かな。」 
                   辰



もうすぐ、梅雨が明けると思います。大豆の播種から、5〜6日で発芽をしました。
小生から見ると、乾いた土地から良く芽を出すものだと感心します。
それもほとんど時期を間違えることなく、「一斉にです。」
当然のことなのですが、良く見ると不思議です。

 畑の横の道路では、散歩する人々、過ぎ行く車。
ただ、なんとなく通り過ぎていくと、発芽を見ることは出来ません。
畑に入って、目を凝らしてください。
すばらしい発見が在りますヨ。


「空に問い 風に答えて 雲の峰。」 
                 辰


荒耕(2回目)

大豆の播種


今年から、蔵では国産大豆を地元農家と契約栽培を始めることにしました。
相手は昨年「かま次郎さんの大豆畑日記」でお世話になった、
農業法人桝塚会の有我さんとその仲間です。
一年間大豆畑を観察させていただき、この人ならば「大丈夫だ。」と感じたからです。

 この畑は、圃場整備が終わり、1区画が1haに変わりました。日本の農業も生き残りのために大型化しています。この周りで約16haの農地が整備されました。
そこで栽培される最初の作物が、「大豆」というわけです。

 今日から半年間、契約栽培の畑の様子を、
下手な俳句と共に綴りますので、お楽しみください。


「余念なし 線香花火に 異国の乙女(こ)。」 
                     辰



蔵では、多くの食品会社と同じ様に、熱源をボイラに依存します。
我々のボイラは、38年前の横置多管式煙缶型です。
大豆を蒸したり、製品を加熱したり、色々な使い方をします。
いわば、蔵すべての力の源(みなもと)です。

そのボイラは年一回検査を受け、安全性、耐久性が調べられます。
通常、食品会社では、すべて下請企業に任し掃除、修繕など一切会社は手を出しません。
しかし、この蔵では、毎年蔵人によりボイラの掃除、修繕を行います。
特に、一般的な腐食防止用の清缶剤(化学品)は使用せず、サツマイモを使います。
それは、日本では統一的な規制がなく、食品の安全性を考えると、現在の方法を越える物が、蔵にとって無いからです。

検査員が、「古さを感じない程、良く手入れがして在りますね。」と言われると、
つい、「はい。先輩たちから良く教わりました。」と嬉しくなります。
小さなこだわりかも、しれませんが、
事実38年前のボイラが調子良く、元気に働いてくれます。


「解決の 糸口さぐる 蜘蛛の網。」 
                辰


「旅順港にて」 


大連、合弁選別有限公司にて、
選別設備の確認の後、手選別の工場を見る事が出来ました。
日本では、人件費の問題で不可能ですが、中国では人件費が低いため可能な作業です。
日本でいう色相機械選別と同じです。
埃の多い倉庫で、幼い田舎の出稼ぎ女性労働者達が、手を真っ黒にし、埃だらけの顔で、床に広げたゴザに、もやし用の緑豆を50Kg広げ、腐れ豆や、割れ豆を拾っています。

 グループの班長らしき、怖そうなおばさんが、薄汚れた若い女性を叱咤していました。
埃だらけの顔の目の下に、埃を流す涙を見つけた時、辛くなり、
カメラを向ける事が出来ませんでした。(カメラマン失格)
まるでテレビドラマの「おしん」や「野麦峠」の世界です。
 彼女たちは、1日200円で9時間、働くそうです。
それも、出来高払いです。ほとんど、内陸部の出稼ぎ労働者です。
大連の駅前で見た、あの美しい女性と同じ中国人なのでしょうか。
「中国沿岸都市の発展の影に、やはりこんな農民の姿があったのか。」と感じます。
記憶の中、昔の日本も同じでした。

 選別の終わった緑豆50Kg入りの麻袋を、小さな背中に担ぎ、
ゆっくり、腰を据え、歩む姿は、「今の中国を感じます。」

「慈愛満つ 千手観音 風薫る。」 
               辰