2017年06月28日

蔵元写真館「追憶」-6



「長男誕生」   昭和7年(1932)


昭和7年3月2日、結婚後4年を経て半分もう出来ないのではと不安に駆られていた長男栄治の誕生である。待ちに待った子供だけにシヅエの心は喜び一杯であった。
初めて腕の中にする子供を布団で包んで背中に結び、計り売りの仕事をし、大豆を蒸し、仕込みをするために走り回る彼女にはもはや辛いと言う言葉はなかった。そんなシヅエを清市は初めて愛しく思った。


有ること難し。 店主


2017年05月31日

蔵元写真館「追憶」-5



「委託加工の桶に張り紙を」   昭和5~6年(1930~31)


清市は、「今年も味噌の委託加工の時期になりました。」と村々を周り歩いている時、「うまい味噌が出来たぞ。」と言う言葉を耳にすると、ブルブルと全身が震えるのを感じた。その冬の仕込みは去年より本数も増え、二人は又一心に仕込みを繰り返した。委託された味噌桶にお客様の張り紙をノリ付けする女房シヅエも必死であった。


有ること難し。 店主


2017年04月25日

蔵元写真館「追憶」-4



「委託加工の仕込」    昭和5~6年(1930~31)


小作として稲刈りを終えると、藁半紙に『味噌の委託加工承ります』と書き、三河一帯を自転車の後ろに広告を縛り、妻シヅエと共にまわった。
各村々では、変わった事を始めたものだとか、そんな商売が成り立つものか、持ち逃げするのだろうと言われた。
だから、商売の前にまず信用されるのが第一の苦労であった。


有ること難し。 店主


2017年03月28日

蔵元写真館 「追憶」-3



「シヅエ結婚前」    昭和2年(1927)


上郷村桝塚の村外れ、貧しい小作の11人家族の長男清市にも春は来た。
昭和3年春、矢作村の神田より清市に縁談話があり、両家の親の同意のみで事はトントンと進み、シヅエと婚姻となった。
19歳の新妻シヅエは、結婚式の当日初めて目にする新郎清市を見て、「ああ、これが私の旦那様か。」と恋心も無く、しげしげと不細工な大柄な清市を見つめた。しかし、小作ではなく八反(はったん)の田を持つ自作農家へ嫁ぐと教えられてきた彼女は、別段生活の心配はしていなかった。


有ること難し。 店主


2017年02月27日

蔵元写真館 「追憶」-2



「清市独立を決意」   昭和2年(1927)  清市(左)


昭和2年(1927)清市21才、小作と人夫仕事では「このままでは我々12名の家族は生きて行けない。女房をもらっても食わせてやれない。」そう考えた清市は、身に覚えのある唯一の『味噌作り』を生活の糧(かて)として行こうと決意した。
しかし、当時味噌屋は庄屋か大金持ちの商売であった。それは莫大な資金と発酵した大豆を長期間成熟のため寝かせる場所を必要としたからである。そこで貧しいものが如何(いか)にできるか、商売にするかを考えた。
そして、彼の得た結論は味噌を売るのではなく、技術を売る事であった。

有ること難し。 店主