2000年12月30日



師走、20世紀も残すところあと二日です。蔵では、毎年恒例の大掃除です。
日ごろいろいろな作業に追われて、なかなか出来ない所までこの日は徹底的に行います。やはり、一つの区切りのようなものです。
でも、これが無いと、何と無く一年が終わりません。

一日を費やして、その後の、気持ち良さは
「一年間、働かさせていただき、どうも有り難うございました。」
と素直に言えますネ。

そして、また「来年も、よろしくお願いします。」と自然に口に出ます。

「酔うほどに 愚痴の出て来る 年忘れ。」 
                    辰


2000年12月20日


「はじめまして、辰です。」もうすぐ、21世紀です。
まさか、わしが21世紀まで生かして頂けるとは思いませんでした。
「南無阿弥陀仏。」合掌。

 今日から春まで、味噌蔵のお話をゆっくりしますので、まぁ、飽きずに聴いてやってください。どこまで皆さんに知ってもらえるか、不安一杯です。

 この辺りも、昔とは様子が変わり、だいぶ騒がしくなってきた。
ここに昔、日本海軍サンの飛行場があったなんて、夢物語かもしれんな。
その前は、狸の出る山の中。なんて愉快、愉快。でも事実なんだぁ。

「熟練の 味噌樽仕込む 寒の水。」 
                 辰


2000年12月14日


大豆の収穫です。やはり今年の大豆は、このあたりは不作でした。例年、一反(300坪)あたり8俵程度の収穫に対し、今年は5俵です。あの9月の大雨の影響で、結実のタイミングと重なりどうすることも出来ませんでした。水はけの良くない土地では、もっと悲惨で2俵という所もあります。その上、粒も小さいです。
春から大豆畑を、季節とともに眺めてきて、あらためて自然の優しさと、冷酷さを感じました。そして、「どうしようもないことは、どうしようもない。」という、百姓の強さを感じることができました。小さな豆から紫の可憐な花を付け、そして緑の枝豆、最後に枯れて種の保存のための大豆と、まるで我々の人生を見るようです。
我々は今、どこに居るのでしょう?                 終り。

「大銀杏 裸となりて 天を突く。」 
                  かま次郎

「かま次郎さんの大豆畑日記」はこれで終わりです。
長い間ありがとうございました。<(_ _)>
次回からは・・・「辰ちゃんの味噌蔵日記」が始まります!
よろしくお願いします!!


2000年12月05日

師走に入り、寒さも日々増しています。大豆畑は、収穫前です。まだ麦まきで、大豆の収穫は後回しです。今年の大豆の作柄はあまり良くないようです。やはり、 9月の大雨の影響だそうです。例年と比較して、収量も作柄も悪く、百姓の人々も落胆は隠せません。それでも、来年に向けて麦まきそして田起こしと愚痴るでもなく、農作業を進めます。そんな百姓の爪の垢でも、我々現代人は、頂くべきなのかもしれません。
遠望の村積山も、紅葉から枯れ山に変わりつつあります。

「くくられて 枯れ行く菊の重きなり。」
               かま次郎


2000年11月21日

もう大豆は収穫出来ます。しかし、今は麦まきを優先しなければなりません。今年の春の日記にも書きましたが、日本の農業は水田、麦作そして大豆と転作をします。ですから、今は慌しく麦まき、そして大豆の収穫と続くのです。



あまり変化のない農地ですが、今、写真の畑から北へ2キロの所で、伊勢湾岸道路(第二東名)のインターチェンジ及びジャンクションの工事が急ピッチで進んでいます。愛知万博までに完成させるのでしょう。まるでピラミッドか現代版巨大古墳です。後世の人々は、是と言うのか非と言うのでしょうか。

「秋の蝿 独りの膳に 付きまとふ。」              
                かま次郎