2020年01月15日

蔵元写真館「追憶」36 弁財蔵建設-3


現在ならばクレーン作業の範疇。
安全基準の緩い時の作業風景で、サーカスのような鳶職人がいました。
柱を設置し、梁をを組み、そして屋根を組み上げる。
段階ごとの仕事が進む様子は、モノづくりの原点です。



弁財蔵屋根の設置風景(1950~1955)


有ること難し。 店主


2019年12月17日

蔵元写真館「追憶」35 弁財蔵建設-2


松材で大黒柱を設置後、外壁が杉材で建設が進みます。
少しずつ建物の全体像が現れてきます。
すべてが人の力により進みます。



弁財蔵外壁の設置風景(1950~1955)


有ること難し。 店主


2019年11月15日

蔵元写真館「追憶」34 弁財蔵建設-1


弁財蔵の建設風景を3回に分けてご紹介いたします。味噌蔵増強計画の中心的蔵の建設は悲願でした。当時、建設機械は無く、全て人間の手作業でつくられていきました。危険な高所作業も現代では考えられないような世界です。
心柱材料は松を使用し、木の曲がりがきつく苦労しながら設置しました



弁財蔵中心の大黒柱の設置風景(1950~1955)


有ること難し。 店主


2019年10月16日

蔵元写真館「追憶」33


戦後の国民の生活リズムの変化に合わせ、味噌蔵の新設が進められた。海軍飛行場の建物を利用した大黒蔵、恵比寿蔵に合わせ寿老人蔵、弁財蔵の建設が進む。



弁財蔵建設を北側と南側より遠望した会社全景(1950~1955)


有ること難し。 店主


2019年09月17日

蔵元写真館「追憶」32

旧海軍飛行場の格納庫や兵舎の払い下げを受けたが、それ以上に蔵の増強は不可欠になり建設を急いだ。
新蔵建設の地鎮祭は丁寧に執り行われた。





旧西蔵建設の地鎮祭の様子(1950~1955)


有ること難し。 店主