2021年04月13日

蔵元写真館「追憶」51


委託加工の請負は仕込み桶の回収から始まります。
愛知県、岐阜県一円の農家から収穫した大豆と仕込み桶は最大一万数千件になりました。
販売用の味噌の出荷も順調に増えましたが、全て桶売りでした。
これ以降販売の主体はパッケージ入りに変わっていきます。



回収した委託加工の桶の荷下ろし風景
味噌の出荷作業風景(1960~1965)


有ること難し。 店主


2021年03月16日

蔵元写真館「追憶」50


当時はまだのんびりとした雰囲気の会社でした。
事務所前のお地蔵さんは現在も蔵の横に祭られています。
蔵人の休憩所にはダルマストーブがあり、工場用のボイラは専任の担当者が石炭を火力に稼働していました。
ボイラの余熱で焼くサツマイモは絶品でした。



旧本社事務所(1980年代後半まで使用)
南方向からの工場全景(1960~1965)


有ること難し。 店主


2021年02月13日

蔵元写真館「追憶」49


当時、まだ味噌は桶の流通が主体で販売も量り売りが主体でした
味噌の販売は酒屋や小規模の食料品店からで、現在のスーパーなどの大型店舗はありませんでした
母親から「味噌とお酒買ってきて。」などと子供のお手伝いの世界が広がります。



出荷される味噌
並ぶ無数の桶は三河一帯の個人より委託された仕込み桶(1960~1965)


有ること難し。 店主


2021年01月12日

蔵元写真館「追憶」48

弁財蔵の熟成中の味噌桶

委託加工だけでなく、市場の需要に対応するため味噌の拡販に努める
安定的に供給できる体制を構築するため、大桶と蔵を増設した
作業もリフトや機械設備を導入


弁財蔵の熟成中の味噌桶と重石作業(1960~1965)

有ること難し。 店主


2020年12月10日

蔵元写真館「追憶」47


仕込み味噌桶の積み込み風景

委託加工が昭和40年当時までは、一番重要な業務でした。
愛知一円の農家より預かった桶に味噌を仕込み、熟成は各戸で行います。
「手前みそ」といわれるように熟成状況により
それぞれ異なった味噌が仕上がります。



委託加工の仕込み味噌の出荷風景(1960~1965)


有ること難し。 店主