2019年11月15日

蔵元写真館「追憶」34 弁財蔵建設-1


弁財蔵の建設風景を3回に分けてご紹介いたします。味噌蔵増強計画の中心的蔵の建設は悲願でした。当時、建設機械は無く、全て人間の手作業でつくられていきました。危険な高所作業も現代では考えられないような世界です。
心柱材料は松を使用し、木の曲がりがきつく苦労しながら設置しました



弁財蔵中心の大黒柱の設置風景(1950~1955)


有ること難し。 店主


2019年10月16日

蔵元写真館「追憶」33


戦後の国民の生活リズムの変化に合わせ、味噌蔵の新設が進められた。海軍飛行場の建物を利用した大黒蔵、恵比寿蔵に合わせ寿老人蔵、弁財蔵の建設が進む。



弁財蔵建設を北側と南側より遠望した会社全景(1950~1955)


有ること難し。 店主


2019年09月17日

蔵元写真館「追憶」32

旧海軍飛行場の格納庫や兵舎の払い下げを受けたが、それ以上に蔵の増強は不可欠になり建設を急いだ。
新蔵建設の地鎮祭は丁寧に執り行われた。





旧西蔵建設の地鎮祭の様子(1950~1955)


有ること難し。 店主


2019年08月21日

蔵元写真館「追憶」31


商売の2本柱である味噌製造販売と味噌委託加工は順調に拡大していた。
配達のためオート三輪を購入に迅速な対応にこたえ、新規の委託加工の桶も購入し拡大した。桶は直ぐに仕込めるのでなく、一度必ず水分を吸わせ、漏れを確認してきっちりと締め直し、桶として使えるようにした。



オート三輪と新桶洗い(1955~60)


有ること難し。 店主


2019年07月16日

蔵元写真館「追憶」30


増える委託加工のお客様の桶を洗浄・修理します。
そして、麹室で使用する「むしろ」(荒い稲穂の畳)の毛羽たちを磨きます。
そんな手間仕事も良い味噌作りには必要不可欠です。



桶修理とむしろ磨き(1955~1960)


有ること難し。 店主