蔵元写真館「追憶」35 弁財蔵建設-2
松材で大黒柱を設置後、外壁が杉材で建設が進みます。
少しずつ建物の全体像が現れてきます。
すべてが人の力により進みます。
弁財蔵外壁の設置風景(1950~1955)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」34 弁財蔵建設-1
弁財蔵の建設風景を3回に分けてご紹介いたします。味噌蔵増強計画の中心的蔵の建設は悲願でした。当時、建設機械は無く、全て人間の手作業でつくられていきました。危険な高所作業も現代では考えられないような世界です。
心柱材料は松を使用し、木の曲がりがきつく苦労しながら設置しました
弁財蔵中心の大黒柱の設置風景(1950~1955)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」33
戦後の国民の生活リズムの変化に合わせ、味噌蔵の新設が進められた。海軍飛行場の建物を利用した大黒蔵、恵比寿蔵に合わせ寿老人蔵、弁財蔵の建設が進む。
弁財蔵建設を北側と南側より遠望した会社全景(1950~1955)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」32
旧海軍飛行場の格納庫や兵舎の払い下げを受けたが、それ以上に蔵の増強は不可欠になり建設を急いだ。
新蔵建設の地鎮祭は丁寧に執り行われた。
旧西蔵建設の地鎮祭の様子(1950~1955)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」31
商売の2本柱である味噌製造販売と味噌委託加工は順調に拡大していた。
配達のためオート三輪を購入に迅速な対応にこたえ、新規の委託加工の桶も購入し拡大した。桶は直ぐに仕込めるのでなく、一度必ず水分を吸わせ、漏れを確認してきっちりと締め直し、桶として使えるようにした。
オート三輪と新桶洗い(1955~60)
有ること難し。 店主