2017年01月28日

新企画 蔵元写真館「追憶」をスタートします。
我々蔵元 桝塚味噌(野田味噌)だけでなく、日本の歴史を写した未公開の写真を定期的にアップロード致します。時代を振り返る時、過去の多くの人々の、絶え間ない努力と犠牲の上に成り立つ現在の日々に、「ふっ」と感謝の念が湧きます。
そんな思いから「追憶」というタイトルをつけました。


蔵元写真館 「追憶」-1



「清市大志を持つ」  大正15年(1926)  後方左から二人目



「初代清市成人記念」 大正15年(1926)  後方左


愛知県碧海郡上郷村桝塚、貧乏な小作人であり、また村の床屋と屋根拭きとして細々と生活していた野田弥市に長男清市が明治39年(1906)10月19日に産声を上げた。清市は兎唇(みつくち)で、すぐに縫い合わせをしたが、一生その傷跡は残った。子供時代、その兎唇と貧乏は彼自身の心を傷つけた事は確かであった。
明治39年生まれの清市にはその後生まれた14人の兄弟(内6人は死産又は生後まもなく死亡)があり、彼は尋常小学校卒業と同時に、今度は口減らしと現金収入の為に、肉体労働の人夫仕事に出された。
この骨太の体はこの肉体労働の賜物である。


有ること難し。 店主