2021年06月28日

蔵元写真館「追憶」54 家族編-2



初代夫婦の画像です
戦前戦後と味噌屋に全てを捧げました
現在の弊社のいたるところに彼らの思いが生きています。


初代夫婦(1955)


有ること難し。 店主


2021年06月11日

蔵元写真館「追憶」53 家族編-1


味噌屋の蔵元写真館「追憶」を紹介してきましたが、50回も過ぎ少々マンネリ化も感じ、今からしばらく焦点を家族に当てた「追憶・家族編」をアップしますので、お楽しみください。



味噌屋一家の嫁と子供たち。
本当は男達でなく、この女たちが会社を動かしていたといっても過言ではありません。
本来の人間力が感じられる大好きな写真です。


蔵の嫁と子供たち(1950)


有ること難し。 店主


2021年05月18日

蔵元写真館「追憶」52


味噌の流通が国家統制から自由流通になるのに伴い、形態も変化があらわれてきました。殺菌用の加熱管や充填機が必要不可欠となりました。



味噌の桶売りから個別包装販売に流通の変化(1960~1965)
蔵の中では葬儀も行われた(1960 野田弥市)


有ること難し。 店主


2021年04月13日

蔵元写真館「追憶」51


委託加工の請負は仕込み桶の回収から始まります。
愛知県、岐阜県一円の農家から収穫した大豆と仕込み桶は最大一万数千件になりました。
販売用の味噌の出荷も順調に増えましたが、全て桶売りでした。
これ以降販売の主体はパッケージ入りに変わっていきます。



回収した委託加工の桶の荷下ろし風景
味噌の出荷作業風景(1960~1965)


有ること難し。 店主


2021年03月16日

蔵元写真館「追憶」50


当時はまだのんびりとした雰囲気の会社でした。
事務所前のお地蔵さんは現在も蔵の横に祭られています。
蔵人の休憩所にはダルマストーブがあり、工場用のボイラは専任の担当者が石炭を火力に稼働していました。
ボイラの余熱で焼くサツマイモは絶品でした。



旧本社事務所(1980年代後半まで使用)
南方向からの工場全景(1960~1965)


有ること難し。 店主