2000年12月14日


大豆の収穫です。やはり今年の大豆は、このあたりは不作でした。例年、一反(300坪)あたり8俵程度の収穫に対し、今年は5俵です。あの9月の大雨の影響で、結実のタイミングと重なりどうすることも出来ませんでした。水はけの良くない土地では、もっと悲惨で2俵という所もあります。その上、粒も小さいです。
春から大豆畑を、季節とともに眺めてきて、あらためて自然の優しさと、冷酷さを感じました。そして、「どうしようもないことは、どうしようもない。」という、百姓の強さを感じることができました。小さな豆から紫の可憐な花を付け、そして緑の枝豆、最後に枯れて種の保存のための大豆と、まるで我々の人生を見るようです。
我々は今、どこに居るのでしょう?                 終り。

「大銀杏 裸となりて 天を突く。」 
                  かま次郎

「かま次郎さんの大豆畑日記」はこれで終わりです。
長い間ありがとうございました。<(_ _)>
次回からは・・・「辰ちゃんの味噌蔵日記」が始まります!
よろしくお願いします!!


2000年12月05日

師走に入り、寒さも日々増しています。大豆畑は、収穫前です。まだ麦まきで、大豆の収穫は後回しです。今年の大豆の作柄はあまり良くないようです。やはり、 9月の大雨の影響だそうです。例年と比較して、収量も作柄も悪く、百姓の人々も落胆は隠せません。それでも、来年に向けて麦まきそして田起こしと愚痴るでもなく、農作業を進めます。そんな百姓の爪の垢でも、我々現代人は、頂くべきなのかもしれません。
遠望の村積山も、紅葉から枯れ山に変わりつつあります。

「くくられて 枯れ行く菊の重きなり。」
               かま次郎


2000年11月21日

もう大豆は収穫出来ます。しかし、今は麦まきを優先しなければなりません。今年の春の日記にも書きましたが、日本の農業は水田、麦作そして大豆と転作をします。ですから、今は慌しく麦まき、そして大豆の収穫と続くのです。



あまり変化のない農地ですが、今、写真の畑から北へ2キロの所で、伊勢湾岸道路(第二東名)のインターチェンジ及びジャンクションの工事が急ピッチで進んでいます。愛知万博までに完成させるのでしょう。まるでピラミッドか現代版巨大古墳です。後世の人々は、是と言うのか非と言うのでしょうか。

「秋の蝿 独りの膳に 付きまとふ。」              
                かま次郎


2000年11月08日


秋深し、公園の木々も紅葉が進んでいます。葉の落ちた桜の枝には、もう来春の新芽が小さく出来ています。大豆畑は、緑が無くなり、茶色になりました。大豆のさやは、「カラ、カラと音をたてます。ほぼ乾燥が終わり、もうすぐ収穫です。

「短日の 広告裏に 伝えごと。」
              かま次郎


2000年11月02日


大豆畑全体に、茶色が目立つようになってきました。黄色に色付いた葉が落ち、茎とさやになり、茶色に見えます。さやの大豆は、一見、もう大豆です。しかし触ってみると、柔らかく、まるでグミ菓子のように柔らかく、出来たての大豆です。乾燥すると、もう収穫です。

「ガラス越し 柿食う鳥と 見つめ合う。」
                  かま次郎