2018年11月21日

敗戦と海軍岡崎航空隊(桝塚飛行場)4


第三航空隊(豊田市桝塚西町)は搭乗兵養成の目的で弊社の隣地に設置されました。現在弊社の味噌蔵として当時の格納庫、兵舎が利用されています。
第二航空隊と第三航空隊の間には、海軍航空廠岡崎補給工場が置かれた。ここでは半田市にあった中島飛行機株式会社で生産された艦上攻撃機「天山」・艦上偵察機「彩雲」の機体に機銃や通信機を取り付ける最終工程が行われていた。



一式双発高等練習機(略称:双発高練・陸軍機)



天山(艦上攻撃機)・彩雲(艦上偵察機)


海軍岡崎航空隊にて連合軍による武装解除(1945,9,11)


有ること難し。 店主


2018年10月29日

敗戦と海軍岡崎航空隊(桝塚飛行場)3


戦争遂行のため若者たちが全国から集められ、12,000名~13,000名がこの基地で訓練を受けました。第一航空隊(安城市柿崎町)、第二航空隊(豊田市上郷町)は整備士養成のために設置されました。



九三式中間練習機(通称:赤とんぼ)



零式艦上戦闘機(通称:零銭)


海軍岡崎航空隊にて連合軍による武装解除(1945,9,11)


有ること難し。 店主


2018年10月04日

敗戦と海軍岡崎航空隊(桝塚飛行場)2

海軍岡崎航空隊は1942年(昭和17年)不足する戦闘機搭乗兵と整備士を養成する目的で豊田市、岡崎市そして安城市にまたがる476haの広大な農地に予科練の飛行場及び航空隊を建設することが決定されました。



九六式艦上戦闘機



白菊(機上練習機)


海軍岡崎航空隊にて連合軍による武装解除(1945,9,11)


有ること難し。 店主


2018年08月22日

敗戦と海軍岡崎航空隊(桝塚飛行場)1

敗戦とともに日本中が混乱し、全てが失われた。
家の南西に隣接した約500haの旧海軍の飛行場にアメリカの進駐軍が来ると村中話題になり大騒ぎとなった。
「女房や娘は隠せ。」との噂に清市自身戸惑いを感じていた。
しかし、いざ武装解除のため進駐軍がくるとシヅエは大忙しであった。
進駐軍のクリーニングを始め、洗濯・アイロン掛け等の現金収入の為に動き回り、そして進駐軍の食堂の裏のごみ箱から残飯を漁っていたのである。
三人の娘達はチョコレートや石鹸を得る為に、米兵の前で童謡を歌った。


白菊(機上作業練習機)


90式機上作業練習機

海軍岡崎航空隊にて武装解除(1945,9,11)

今回より5回連載で、進駐軍の兵士が写した貴重な写真を掲載します。

有ること難し。 店主


2018年07月19日


願正寺本堂前にて 1945(昭和20年)


戦争直後まで、地域には幼児保育環境がなくその代わりとして
お寺がその役割を担っていた。
小学校入学前の子供たちは近所の寺で地域の人々に育てられた。


有ること難し。 店主