2018年08月22日

敗戦と海軍岡崎航空隊(桝塚飛行場)1

敗戦とともに日本中が混乱し、全てが失われた。
家の南西に隣接した約500haの旧海軍の飛行場にアメリカの進駐軍が来ると村中話題になり大騒ぎとなった。
「女房や娘は隠せ。」との噂に清市自身戸惑いを感じていた。
しかし、いざ武装解除のため進駐軍がくるとシヅエは大忙しであった。
進駐軍のクリーニングを始め、洗濯・アイロン掛け等の現金収入の為に動き回り、そして進駐軍の食堂の裏のごみ箱から残飯を漁っていたのである。
三人の娘達はチョコレートや石鹸を得る為に、米兵の前で童謡を歌った。


白菊(機上作業練習機)


90式機上作業練習機

海軍岡崎航空隊にて武装解除(1945,9,11)

今回より5回連載で、進駐軍の兵士が写した貴重な写真を掲載します。

有ること難し。 店主


2018年07月19日


願正寺本堂前にて 1945(昭和20年)


戦争直後まで、地域には幼児保育環境がなくその代わりとして
お寺がその役割を担っていた。
小学校入学前の子供たちは近所の寺で地域の人々に育てられた。


有ること難し。 店主


2018年06月23日

「追憶」-18 戦前の子供たち3



昭和18~20年(1944~45)栄治(二代目)と富川紘一(友人)



昭和20~21年(1944~46)栄治(二代目)の三人の妹たち (綾子、美佐子、光代/従妹、日米治)


小学校の運動場は食料不足のため、サツマイモ畑になった。
胸には、氏名、住所などの必要事項が布に書かれていた。
そんな時代の中でも子供たちは、素敵な子供であった


有ること難し。 店主


2018年05月28日

追憶-17 戦前の子供たち 2



昭和15~16年(1940~41)栄治(二代目)の三人の妹 (綾子、美佐子、恵美子)



昭和15~16年(1940~41)栄治(二代目)


戦争が拡大する中、生活物資の不足は庶民の暮らしに影響した。
農村部では食料の充足だけで精一杯であった。
子供の衣服までは難しい状況となった。


有ること難し。 店主


2018年04月28日

追憶-16 戦前の子供たち 1



昭和11年(1936)三輪車に乗る栄治(二代目)と妹 (綾子)



昭和12年(1937)国民学校に入学した栄治(二代目)


昭和12年(1937)長男栄治(二代目)は国民学校に入学した。
忙しく働く清市とシヅエにひとときの喜びを与えた。
ランドセルを持たせ、記念の写真を撮る余裕が、まだあった。


有ること難し。 店主