2017年09月26日

蔵元写真館「追憶」-9



「オート三輪に跨る勇次(次男)」 昭和12~13年(1937~1938)



「オート三輪と一三(三男)」  昭和12~13年(1937~1938)


清市とシヅエの仕込んだ味噌に対する評価は委託加工を受けた客からも少しずつ現れた。清市は、「今年も味噌の委託加工の時期になりました。」と村々を周り歩いている時、「うまい味噌が出来たぞ。」と言う言葉を耳にすると、ブルブルと全身が震えるのを感じた。
家族全員の協力を受け味噌の仕込み作業を行い、下の弟達(勇次、一三)はオート三輪に跨り桶の回収と仕込み味噌の配達を受け持ち兄夫婦と助けた。
その冬の仕込みは去年より本数も増え、二人は又一心に仕込みを繰り返した。


有ること難し。 店主


2017年08月29日

蔵元写真館「追憶」-8



「蔵周辺の整理」(現 溜蔵前)    昭和11~12年(1936~1937)


清市とシヅエは、初めて作った味噌蔵の前を整地し、作業スペースを確保した。自宅の軒先で始めた味噌屋は手狭となり、味噌蔵そして作業場の確保へと、一歩ずつ広がりを見せる。
使用していた大八車も写っています。
百坪(300㎡)程の拡張であったが、家族の夢でもあった。


有ること難し。 店主


2017年07月26日

蔵元写真館「追憶」-7



「蔵をつくる」(現 溜蔵)    昭和10年(1935)


清市は、シヅエと共に6年間少しずつ貯めた金全てを出し、初めて50坪の古い倉庫(矢作村本郷の米蔵)を買う事を決意した。
彼は荒縄で自分と瓦・太い材木・基礎の石垣を積んだ大八車を縛り、シヅエは長男栄治を背中に結び後ろから押して、二人は桝塚村へ向かった。彼らは北野村の坂道で初夏の燃えるような大地の熱さを足の裏に踏みしめ一歩一歩進んだ。
自宅前の畑に移築された倉庫は、清市の初めての味噌蔵となった。
大豆を蒸す釜の煙突は、土管を重ね積み上げたものである。

有ること難し。 店主


2017年06月28日

蔵元写真館「追憶」-6



「長男誕生」   昭和7年(1932)


昭和7年3月2日、結婚後4年を経て半分もう出来ないのではと不安に駆られていた長男栄治の誕生である。待ちに待った子供だけにシヅエの心は喜び一杯であった。
初めて腕の中にする子供を布団で包んで背中に結び、計り売りの仕事をし、大豆を蒸し、仕込みをするために走り回る彼女にはもはや辛いと言う言葉はなかった。そんなシヅエを清市は初めて愛しく思った。


有ること難し。 店主


2017年05月31日

蔵元写真館「追憶」-5



「委託加工の桶に張り紙を」   昭和5~6年(1930~31)


清市は、「今年も味噌の委託加工の時期になりました。」と村々を周り歩いている時、「うまい味噌が出来たぞ。」と言う言葉を耳にすると、ブルブルと全身が震えるのを感じた。その冬の仕込みは去年より本数も増え、二人は又一心に仕込みを繰り返した。委託された味噌桶にお客様の張り紙をノリ付けする女房シヅエも必死であった。


有ること難し。 店主