蔵元写真館「追憶」47
仕込み味噌桶の積み込み風景
委託加工が昭和40年当時までは、一番重要な業務でした。
愛知一円の農家より預かった桶に味噌を仕込み、熟成は各戸で行います。
「手前みそ」といわれるように熟成状況により
それぞれ異なった味噌が仕上がります。
委託加工の仕込み味噌の出荷風景(1960~1965)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」46
室(製麴室)に味噌玉(豆麹)の引き込み、そして雪の日の風景
自家製の室では人力がすべてでした。
温度管理から製麴状態の確認まで昼夜行われていました。
ほっとした合間、雪の日の蔵人たちは良い顔をしています。
室(製麴室)に味噌玉(豆麹)の引き込み(1960~1965)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」45
原料大豆の蒸煮風景
当時は縦釜とNK缶(横型回転式蒸煮缶)の2台が活躍していました。
排出後直ぐに玉握機でこぶし大の「みそ玉」と呼ばれる
豆麹を成形します。
画像はまだ種麹はする前です。
原料処理(1960~1965)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」44(味噌屋は百姓-4)
すべて手作業の労働ですが、日々の労働は報われました。
この日のため、春からの百姓仕事があったのですね。
秋稲刈り(1955~1960)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」43(味噌屋は百姓-3)
後方は今の大黒、恵比寿そして高嶺蔵です。
収穫だけでなく、趣味の菊栽培にも手を出します。
秋は蔵全体が菊の香りが漂います。
畑仕事と菊1955~1960
有ること難し。 店主