2018年03月29日

追憶-15



出征する清市 昭和18年(1943)



出征時の清市 昭和18年(1943)


1943年(昭和18年)、清市のところに来た一通の赤いハガキによって、委託加工のみそ仕込は大黒柱不在となった。
清市は召集令状を手に、出征兵士の一員として住み慣れた家を旅立っていったのである。見送るシヅエは虚脱感で全く無表情であり、その当時小学生であった長男栄治は毎日ぽんつく(魚とり)で走り回っていた。
37歳の男まで招集される戦争に、もはや勝ち目はなかった。終戦の際、清市は千葉の海岸で本土決戦の為の塹壕(ざんごう)堀をしていたために戦死を免れ、玉音放送を聞く事が出来たことが清市にとって幸運であった。


有ること難し。 店主


2018年02月26日

追憶-14



集まる委託加工の桶の山(1943~1945)



配達用三輪車の清市(初代)と栄治(二代目)(1943~1945)


1941年(昭和16年)米穀(べいこく)食料品の配給制の実施により全ての食料品が統制下に置かれた。原料確保が難しくなっていた時期だけに、原料大豆や塩が買えない事は商売の存続を難しくさせたのである。しかし、増えてきた委託加工客も生きるのに必死であった。男達はだんだん戦場に駆り出され、農家には女、老人そして子供が残り、村の中でも出兵兵士を送る行列が見られるようになった。委託加工のお客様は配給券を持参して味噌の製造を我々に委託した。社会全体が混沌(こんとん)とした状況になっていたのである。


有ること難し。 店主


2018年02月01日

蔵元写真館「追憶」-13



松本家の葬儀(1943)



出征する義弟 近藤一男君(1944)


戦況が悪化する中、親戚でも戦死者が出る現実を迎える。岡崎の松本家の葬儀に参列し悲しみの中、弔った。そして、義弟(近藤一男)も出征をし、益々悪化する暮らしを余儀なくされる。


有ること難し。 店主


2018年01月05日

蔵元写真館「追憶」-12



出征祝いの一三(三男)1943



従軍時代の一三(三男)1943~1945


戦争は多くの将兵を必要とした。勇次(次男)の出征に続き、今度は一三(三男)に赤紙(招集令状)が届いたのである。これで、男4人兄弟の内、2人が戦地に向かうこととなった。


有ること難し。 店主


2017年11月29日

蔵元写真館「追憶」-11



「従軍時代の勇次」昭和15年~昭和20年(1940~1945)


志願兵として出征した勇次(次弟)は恵まれた心身を認められ、近衛師団に従軍した。
彼は味噌屋でなく職業軍人として生きていく道を選択した。
若者の未来を翻弄する時代なのである。


有ること難し。 店主