2019年09月17日

蔵元写真館「追憶」32

旧海軍飛行場の格納庫や兵舎の払い下げを受けたが、それ以上に蔵の増強は不可欠になり建設を急いだ。
新蔵建設の地鎮祭は丁寧に執り行われた。





旧西蔵建設の地鎮祭の様子(1950~1955)


有ること難し。 店主


2019年08月21日

蔵元写真館「追憶」31


商売の2本柱である味噌製造販売と味噌委託加工は順調に拡大していた。
配達のためオート三輪を購入に迅速な対応にこたえ、新規の委託加工の桶も購入し拡大した。桶は直ぐに仕込めるのでなく、一度必ず水分を吸わせ、漏れを確認してきっちりと締め直し、桶として使えるようにした。



オート三輪と新桶洗い(1955~60)


有ること難し。 店主


2019年07月16日

蔵元写真館「追憶」30


増える委託加工のお客様の桶を洗浄・修理します。
そして、麹室で使用する「むしろ」(荒い稲穂の畳)の毛羽たちを磨きます。
そんな手間仕事も良い味噌作りには必要不可欠です。



桶修理とむしろ磨き(1955~1960)


有ること難し。 店主


2019年06月13日

蔵元写真館「追憶」29


製造の効率化と安定性を進めるため、仕込み用混合器を購入しました。
我々は設備会社の商品名「ゲーテ」(製造会社の社長がドイツの詩人ゲーテが好きだった)から、弊社内名「ゲーテ」と名付けました。
「ゲーテ」を使用して仕込みを行うと確実に効率と安定性が強化されました。



「ゲーテ」と仕込み改革(1955~1960)


有ること難し。 店主


2019年04月30日

蔵元写真館「追憶」28

順調に増加する委託加工仕込味噌の仕事だけでなく、今後は味噌販売にも注力の必要性を感じ、味噌製品のラインナップを進めた。
同時に事務所の建設をした。
対外的にも「味噌屋さん」から「桝塚・野田味噌」の表現を開始する。
愈々(いよいよ)、桝塚味噌ブランドの発足である。



「桝塚・野田味噌」ブランドスタートと事務所建設(1950~55)


有ること難し。 店主