蔵元写真館「追憶」32
旧海軍飛行場の格納庫や兵舎の払い下げを受けたが、それ以上に蔵の増強は不可欠になり建設を急いだ。
新蔵建設の地鎮祭は丁寧に執り行われた。
旧西蔵建設の地鎮祭の様子(1950~1955)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」31
商売の2本柱である味噌製造販売と味噌委託加工は順調に拡大していた。
配達のためオート三輪を購入に迅速な対応にこたえ、新規の委託加工の桶も購入し拡大した。桶は直ぐに仕込めるのでなく、一度必ず水分を吸わせ、漏れを確認してきっちりと締め直し、桶として使えるようにした。
オート三輪と新桶洗い(1955~60)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」30
増える委託加工のお客様の桶を洗浄・修理します。
そして、麹室で使用する「むしろ」(荒い稲穂の畳)の毛羽たちを磨きます。
そんな手間仕事も良い味噌作りには必要不可欠です。
桶修理とむしろ磨き(1955~1960)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」29
製造の効率化と安定性を進めるため、仕込み用混合器を購入しました。
我々は設備会社の商品名「ゲーテ」(製造会社の社長がドイツの詩人ゲーテが好きだった)から、弊社内名「ゲーテ」と名付けました。
「ゲーテ」を使用して仕込みを行うと確実に効率と安定性が強化されました。
「ゲーテ」と仕込み改革(1955~1960)
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」28
順調に増加する委託加工仕込味噌の仕事だけでなく、今後は味噌販売にも注力の必要性を感じ、味噌製品のラインナップを進めた。
同時に事務所の建設をした。
対外的にも「味噌屋さん」から「桝塚・野田味噌」の表現を開始する。
愈々(いよいよ)、桝塚味噌ブランドの発足である。
「桝塚・野田味噌」ブランドスタートと事務所建設(1950~55)
有ること難し。 店主