蔵元写真館「追憶」42(味噌屋は百姓-2)
百姓は忙しい。
蔵前(現 南蔵1~2)の畑ではサツマイモとネギの手入れ(草取り)。
ほぼ自給自足の世界が出来上がっていました。
平和な時代を享受し、幸せを感じるときです
畑の手入れ1955~1960
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」41(味噌屋は百姓-1)
味噌仕込は冬期の仕事で、春から秋までは農業がメインの活動でした。
その中でもやはり米栽培は最重要です。
春先は苗場作りから田植え用の苗を作ります。そして田植えに・・・
苗取りが田植えと同時進行で行われます。
写真の後方建物は、現在の高嶺、吉祥、恵比寿そして大黒蔵の一部です。
田植え用苗取り1955~1960
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」40 (村の青年団活動-4)
村にできた「火の見櫓」
火事予防、早期発見、早期伝達の目的で建設された。
半鐘が設置されていたが打ち鳴らされるのは50年で数度。
現在は取り壊され、上部だけ区民会館に設置されています。
村の青年団1950~1955
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」39 (村の青年団活動-3)
村歌舞伎だけでなく、自作の芝居も上演した。
その中には漫才や寸劇のような「出しもの」も存在した。
若者達は、まさに青春を謳歌していたのである。
夏祭りの青年団1950~1955
有ること難し。 店主
蔵元写真館「追憶」38 (村の青年団活動-2)
平和な時代に若者となった者は、自由を享受した。
村の全ての人々は暮らしをどのように楽しむかを知っていた。
繰り返される季節を日本中どこも楽しんでいた。
これが平凡な幸せなのである。
夏祭りの青年団1950~1955
有ること難し。 店主