2019年01月30日

蔵元写真館「追憶」25

昭和20年(1945)敗戦とともに日本中が混乱し、全てが失われた。味噌の委託加工は、食料不足のため急増した。国民全体が「生きるために食べる」ということに必死な時代なのである。
大豆、塩そして薪を積んだリヤカーが三河周辺の農家より毎日清市の家の前に並んだ。しかし、処理能力不足の為全部を処理できず、断るのに必死であった。清市達の味噌醸造は家族だけでは仕事をこなす事が出来ず、近所の村から蔵人を募集・採用した。



味噌仕込み風景 昭和20~22年(1945~1947)



蔵人集合写真 昭和20~22年(1945~1947)


有ること難し。 店主


2018年12月12日

敗戦と海軍岡崎航空隊(桝塚飛行場)5


第二次世界大戦当時、この航空隊で沢山の若者たちが戦争を学び、殺し方や死に方を教えられ戦地に向かいました。現在、当時の格納庫や兵舎は味噌蔵として利用され、食育を通し、「生きること」を教えています。



彗星三三型(艦上爆撃機)



神風トレーナー(操縦練習用シミュレーター)


海軍岡崎航空隊にて連合軍による武装解除(1945,9,11)


有ること難し。 店主


2018年11月21日

敗戦と海軍岡崎航空隊(桝塚飛行場)4


第三航空隊(豊田市桝塚西町)は搭乗兵養成の目的で弊社の隣地に設置されました。現在弊社の味噌蔵として当時の格納庫、兵舎が利用されています。
第二航空隊と第三航空隊の間には、海軍航空廠岡崎補給工場が置かれた。ここでは半田市にあった中島飛行機株式会社で生産された艦上攻撃機「天山」・艦上偵察機「彩雲」の機体に機銃や通信機を取り付ける最終工程が行われていた。



一式双発高等練習機(略称:双発高練・陸軍機)



天山(艦上攻撃機)・彩雲(艦上偵察機)


海軍岡崎航空隊にて連合軍による武装解除(1945,9,11)


有ること難し。 店主


2018年10月29日

敗戦と海軍岡崎航空隊(桝塚飛行場)3


戦争遂行のため若者たちが全国から集められ、12,000名~13,000名がこの基地で訓練を受けました。第一航空隊(安城市柿崎町)、第二航空隊(豊田市上郷町)は整備士養成のために設置されました。



九三式中間練習機(通称:赤とんぼ)



零式艦上戦闘機(通称:零銭)


海軍岡崎航空隊にて連合軍による武装解除(1945,9,11)


有ること難し。 店主


2018年10月04日

敗戦と海軍岡崎航空隊(桝塚飛行場)2

海軍岡崎航空隊は1942年(昭和17年)不足する戦闘機搭乗兵と整備士を養成する目的で豊田市、岡崎市そして安城市にまたがる476haの広大な農地に予科練の飛行場及び航空隊を建設することが決定されました。



九六式艦上戦闘機



白菊(機上練習機)


海軍岡崎航空隊にて連合軍による武装解除(1945,9,11)


有ること難し。 店主