
2001年05月07日
何の変哲も無い、直売店横の花壇ですが、その謂れ(いわれ)を話しましょう。
その花壇の石垣に、直径15センチ、深さ5センチの穴が彫り込んであります。
昔、この村にまだ水道設備の無い時代、どこの田舎も同じですが、水は近所の川や井戸を利用していました。
この桝塚村も同じで、洗濯は村のすぐ北を流れる家下川でした。
そして、特にきれいな清水の湧き出るところのすぐ下(しも)を、村共有の洗濯場として使っていました。
その洗濯場の最後の足場が、この花壇の石垣なのです。
彫り込んである穴は、石鹸入れの穴という訳です。
洗濯をする母親の横で、よく水遊びをしました。
橋下の清水は、夏冷たく、冬暖かく感じたのを覚えています。
井戸の無い家では炊事用にも使いました。ザリガニ取りに最適でした。
今は、もう川の両岸は、灰色のコンクリートで固められて、
昔のように、川の中には入れません。
「あの清水の冷たさ。ワシには、あるんだが・・・。」
失った物が、大きいような気がします。
「巣作りに 傍若無人 軒つばめ。」
辰
2001年04月21日
昨年、大豆の播種から収穫までを記録した
「かま次郎さんの大豆畑日記」(同ホームページ参照)の畑が
起され、水が引かれました。
五月の連休ぐらいには、コシヒカリの田として植えられます。
現在、米、麦、大豆と輪作をしながら、農地を維持しています。
日本の農業は、たくさんの社会的問題を含んでいます。
見逃しもできません。
「一度、畦道にでも座って、ゆっくり考えてみては?」
そんな気がします。
我々は、立ち止まって考える勇気が必要かもしれませんネ。
「声とどく 距離をたしかめ 潮干狩り。」
辰
2001年04月14日
桜も散り始め、春の初々しさから、
彼方此方(アチラコチラ)の家の鯉幟(コイノボリ)が気になります。
味噌は、秋から冬に多く使われますが、
長年蔵の中で生きてくると、「ふッ。」と思う事があります。
「本当は、初春から初夏が味噌の旬。」なんですョ。
底冷えのする冬の蔵を乗り越え、この時期の味噌は、
深みと、締まりのある味に育っているように感じます。
蔵人の戯言(たわごと)かも知れませんが・・・
日々淡々と繰り返す作業ですが、
「一度として、同じ味の味噌はありません。」
「朧月 テレビは眠 狂四郎。」
辰
2001年04月01日
最近の陽気で、春盛りです。
蔵の周りでは、土筆が顔を出し、菜の花は艶やかな黄色に染まり、そして小生の好きなしだれ桜も一斉に咲きました。
蔵の中、土の中から、木々から、あちらこちらで春は芽吹いています。
虫や蝶も小鳥たちも、目覚めのあくびをしているようです。
毎年同じ様に、春はやって来ます。
小生、この時期好きな食べ物があります。
それは土筆で、別に、特別なものではありません。
ただ、摘んできた土筆の袴(はかま)を取り、蔵で出来た溜(醤油)と砂糖で炒めただけの
「田舎流甘露煮風土筆炒」とでも言いましょうか。
土筆、溜、砂糖の量は適当です。
勝手な好みで、小生は甘辛くします。
白いご飯(銀シャリ)と良く、合うんですョ。
蔵で、春を感じます。
「行儀よく 土筆並びて 空広く。」
辰
2001年03月25日
諺で「箍(タガ)をしめる。」とか「箍が緩む。」と言われます。
蔵で使われている400本程の大桶も、仕込む前に漏れのないように、修繕します。
昔は、「桶屋さん」と言われる桶職人が、蔵から蔵へ移動しながら傷んだ桶を修繕したり、新しい箍をしめたりしていました。
当時、蔵に来た桶屋さんの所へ行くと、箍用に使う竹を割る音が、「パリ、パリ、パリ。」と乾いた気持ちいい音がしていました。蔵の中、「渇。」でも入れるような音でした。
現在は、桶職人は居なくなり、修繕は蔵人が行います。
竹箍(タケタガ)は出来なくなり、鉄箍(テツタガ)で修繕します。
この蔵もだんだん竹箍のある大桶が、修繕の度に鉄箍に変わっていきます。
少し、寂しい気分にもなりますが、大桶を長持ちさせるためには、仕方ありません。
それでも、大桶は生き続けます。
「逢引の 場所は氏神 猫の恋。」
辰